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災害派遣活動報告 ~1~

いよいよ当日。

8時間かけて陸路を行く。
一関に前乗りして宿泊。

正直、一関の幹線道路周辺しか見ていないけど、地震そのものの大きな傷跡は見ることがなかった。
(後日、見ましたが)


宿では一睡も出来なかった。
不安と緊張で眠れないなんて初めてか、覚えてないくらい久し振りのことだ。


翌日から陸前高田に向かう。
一関から一時間半。
山をいくつか越えた瞬間、それは来た。

いきなりのガレキ。
初めはなにか解らなかった。
そこはまだ海から5㎞も離れていたから。

でもすぐに土砂や建材、そういうものがガレキだと悟らせた。
ここまで津波が来たのか…その理由も解った。
すぐ横を併走している川を遡っていたのだ。

鉄道の橋げたが川の流れと反対方向に90度曲がって切れていた。
ガレキの真ん中でトラックが逆立ちになっていた。
鉄骨も、ガードレールも、海に背を向ける方向に曲がっていた。

車内の全員が絶句する。

いよいよ来たんだ、という思い。
これから何を見るんだろう、という思い。
不安の方が勝っていたんじゃないだろうか。


拠点となるのは、陸前高田市立第一中学校。
報道でも何度も見た場所だ。

ここは高台にあって、津波も近くまでは来ていたようだったけど建物は無事。
体育館に当時で700人くらいの避難者がいたらしい。
2階建ての校舎は、色んな教室に色んな役割が与えられていた。
日赤医療班の詰め所や、子供を遊ばせられる部屋、調理のための部屋、など。

私たちは全国から10チームほどが集まる部屋を拠点にする。
覚えてるだけでも北海道、秋田、岐阜、三重、兵庫…
みんなの思いは同じ。
直接的な連携は少なかったけど、医療者としての見えない連帯感を感じた。

『こころのケアチーム』だけでも10名越えの大所帯。
仕事としては、地域に点在する避難所を回って精神科外来の周知や状況把握。
実際に相談に来た方への対応。
外来診察。

私は初日の午前中は避難所回りへ。

中学校は拠点にはなっているのだけど、地域の公民館などに数名単位の避難者がたくさんいらっしゃるのだ。
集落ごと、なのだろう。

『精神科』の言葉を出さない。
専門用語や横文字は使わない。
色々勉強して向かったはずだったのだけど、どうだったのか…。

避難所の人たちの顔は疲れていて、悲しんでいて、
何か言葉も上滑りしていってしまうようだった。

本当は一人一人と話をして行きたかったが、そのあたりは保健師さんの役割になっているようだった。

陸前高田を走っているとき、ガレキの高さで津波がどこまで来たのかが解った。
陸前高田は高低差の多い変化に富んだ地形だ。
ほんの僅かな高低差だけで津波被害に大きな差があった。
生存率も紙一重だったのかもしれない。


この日、私は同席できなかったのだけど震災孤児になってしまった子の診察があった。

心が重い。
言葉がない。

この思いは、滞在中なくなることはなかった。
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