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災害派遣活動報告 ~番外編~

本編がこの下から始まっています。そちらを先にお読みいただけると良いと思います。読んで下さった方から、希望の持てることも書いてほしいとのご意見をいただきました。 私も書き残しを感じていたので、書くことにします。 希望といえば「復興」じゃないでしょうか。 当時、上下水道は寸断。 手を洗うのもポリタンクに入った水で。 お手洗いを流すのもごく僅かな水で。 ほとんどくみ取りのようなお手洗いでした。 電気はついてま...

災害派遣活動報告 ~-1~

2011年3月11日、14時46分。 東日本大震災発生。 その時、私はいつものように仕事をしていた。 あまりの揺れに外に出て、そのまま病院やその関連施設で安否確認に走った。 その日は強い余震が何度もあり、気持ちも落ち着かず仕事どころじゃなくなった。 その日を境に、いつもの毎日は姿を変えた。 多くの見知らぬ人の無事を祈った。 小さな余震や流れ続ける映像に心が折れそうになり眠れない夜が過ぎた。 製造・物流の被害による日...

災害派遣活動報告 ~0~

3月23日。 上司から電話。 こころのケアチームとして陸前高田に行ってもらうかもしれない、と。 何度も報道で見た場所。 ホームページを見てみた。 三陸海岸に抱かれた美しい街だった。 見知らぬ街が、一気に身近なものとなった。 そして同時に、何をすべきか、何が出来るのかを、 今まで以上にもっともっと考えるようになった。 でもそんなもの簡単には見つからなかった。 迷惑をかけるだけになるんじゃないか。 何もできないんじ...

災害派遣活動報告 ~1~

いよいよ当日。 8時間かけて陸路を行く。 一関に前乗りして宿泊。 正直、一関の幹線道路周辺しか見ていないけど、地震そのものの大きな傷跡は見ることがなかった。 (後日、見ましたが) 宿では一睡も出来なかった。 不安と緊張で眠れないなんて初めてか、覚えてないくらい久し振りのことだ。 翌日から陸前高田に向かう。 一関から一時間半。 山をいくつか越えた瞬間、それは来た。 いきなりのガレキ。 初めはなにか解らなかった。...

災害派遣活動報告 ~2~

2日目。 この日は巡回の時に海側を通った。 海側は…全部ガレキだった。 壊滅状態という報道が過言ではなかったことを知る。 テレビで見た画面がそこにあって それが360° 画面には映りきらない。 もちろんその先に画面に映りきらない悲しみがある。 海側のガレキは、川に流れてきたガレキとは違う。 上手く言えないけど何かが違う。 ガレキの撤去と遺体の捜索が行われている。 涙が溢れた。 こんな大きな震災で、たくさんの人の悲し...

災害派遣活動報告 ~3~

この日、私は一件の相談に同席した。 30代女性。身内を亡くした悲しみで不眠や嘔吐、食欲不振が出現していた。 一緒に逃げたんです。 でも途中で車を降りちゃったんです。 足の悪い別の親戚の所にいくって。 その親戚ともども、津波にのまれました。 どうして車を下ろしちゃったんだろう。 私のことを責めているだろうか。 今でも、夢なんじゃないかと思う。 自分の子供に励まされる時もある。 この子のために頑張ろう、と思うとき...

災害派遣活動報告 ~4~

これが最後です。 正直、自分が五感で感じたものを文章にしきれていないもどかしさがあります。 ここからは、感じたことを素直になるべく素直に、たくさん書いていこうと思います。 当時、震災から1ヶ月。 心理学的には幻滅期。 現実が見えてきて、怒りや絶望が沸いてくる時期。 そして、そんな感情の渦に疲れ切った人たちの顔。 海側はまさに壊滅状態。 建物があった形跡、鉄筋や土台だけがかろうじて残っている。 未だ捜索やガレ...
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